冬まつりの歴史

第1回旭川冬まつり大雪像「名古屋城」

旭川冬まつりの発端は、1946年(昭和21年)1月まで さかのぼります。当時旭川警察署では交通安全のため道路の除雪を奨励しましたが、たくさんの雪の山の処理に困っていました。 その時、当時の観光協会会長佐藤門治が郷土出身の彫刻家 加藤 顕清氏の助言を得て、雪像を芸術化することに気づき、これを提案したのが旭川冬まつりの発祥といわれています。

1947年(昭和22年)2月には「北海冬まつり」が行われ、アイヌの人達によるイヨマンテ(くま祭り)が繰り広げられました。 1948年(昭和23年)には市内の小中学校や民間会社の前にも色々な雪像が作られはじめ、1949年(昭和24年)には旭川市も主催団体に参加し、冬の女王も選ばれました。 1951年(昭和26年)3月からは「旭川雪まつり」として開催しましたが、風邪の流行や担当者の異動などのため 3年で中止となってしまいました。

1959年(昭和34年)秋に祭りをやろうとの声が上がり、昭和35年2月に現在の冬まつりのスタートである「第1回旭川冬まつり」が開催されました。(なお、札幌雪まつりは1950年より開催されています。) 現在の冬まつりは「雪と氷とあかりの祭典」としてギネスにも認定されたこともある世界最大の雪像、氷彫刻世界大会の作品、来場者の皆さんが楽しい冬を体験できる様々なイベントなどで構成されています。